いちどにひとつ

カニグズバーグの作品はどれもそれぞれにおもしろく、

思春期というむつかしい時期をくぐりぬける

子どもたちの気もちが生き生きとえがかれている。

そして、その子どもたちのそばには、

魅力的なおとながたいてい存在する。

こまかなアドバイスをするわけではなく、

自分の生活をただ堅実につづけるだけだけど、

そのことで子どもたちになにがしかかんがえさせるおとなたち。

子どもたちが成長していくときに、

このように人生に対して誠実に生きているおとなの存在が、

ときとしてどうしても必要になことがわかる。


『13歳の沈黙』(岩波書店)では、

家政婦のヨランダさんが印象にのこっている。

彼女はいちどにひとつのことしかしない。

しずかに、ていねいに、ひとつづつ仕事をすすめていく。

このおちついた態度こそを依頼主の女性は必要としていた。

仕事ははやいけどあわただしい、というのではなく

ヨランダさんのしずかな仕事ぶりが信頼され

必要とされるのはとてもよくわかる。


この本をよんでから、

わたしもまたできるだけいちどにひとつのことしかしないよう

こころがけるようになった。

たとえば、冷蔵庫にバターをしまおうとして、

その途中にテーブルのうえにあったお皿に気づき、

バターといっしょに手にする、ということがよくあるわけだけど、

そんなときにも、まずバターをしまい、

その動作が完全におわってからお皿をながしにもっていく。

とにかくひとつずつしかしないこと。

簡単なようで、これがなかなかできない。

効率を要求されない私生活においてさえ、

できるだけたくさんのことをいちどにしてしまうやり方に

すっかりなれてしまっている。


スローライフだとかロハスだとかが

かまびすしくくちにされるいまだからではなく、

ヨランダさんのような「いちどにひとつのこと」というのは、

いつの時代でもささやかな生活のなかでの

大切なおさえどころだとおもう。

ついふたつ以上のことを

ひとつのうごきでしてしまったとき、

「いちどにひとつ」と自分をいましめる。

(吉田 淳)