30年ぶりのヤッターマン
ヤッターマンが30年ぶりに復活した(読売・毎日テレビ系月曜夜7時より)。
声優は30年前とおなじく
基本設定は
「『泥棒の神様』ドクロベエの指示で、
5つ集めればどんな願いも叶うといわれる不思議なリング
『ドクロリング』を求め悪事を働く」、
というものだけど、そんな目的はあってないようなもので、
毎回おきまりのながれにそって声優たちがふざけちらしあそびつくす。
第4話「北の国キャラ2008だコロン」は
ドラマ「北の国から」をさんざんからかっていた。
黒芋ゴロンは田中邦衛そっくりで、
その子どもポタリとビュンはもちろん蛍と純。
ビュンは「○○なわけで」が口癖の根くらな少年で、
まったく関係ないところで突然キタキツネがでてきて、
「ドキドキしてきた」とビュンがつぶやく。
ボヤッキーは例によって「ポチッとな」とスイッチをおすし、
「豚もおだてりゃ木にのぼる」「おろカブ殿」などの脇役もきっちり登場し、
任務が成功しようが失敗しようが、
最後は「お約束」どおり大爆発でボロボロになるドロンジョたち。
むかしの番組をしるものにとって、
このワンパターンがたまらない魅力なわけだけど、
今回はじめてヤッターマンをみるひとは、
このどーでもいい世界をどううけとめているのかちょっと気になる。
いうまでもなく、ヤッターマンのワンパターンギャグは、
その文化があるレベルまで成熟してないとあらわれないたぐいのものだ。
「巨人の星」のように目標にむかって一直線にまじめにすすむのではなく、
番組とは関係ない楽屋うちのはなしまでしてお気楽な世界をつくりだす。
このスタイルは、30年まえにタイムボカンシリーズがはじまったときから
一貫した路線としてすでに確立されていた。
ヤッターマンだけではない。
ほぼおなじ時期につくられた
「ルパン三世カリオストロの城」(1979年)をみても、
そのころから日本のアニメーションは
作画のこまやかさからいっても、演出のふかさからいっても、
すでに一定のレベルにたっしていたことがわかる。
ヤッターマンの出現は、
日本のアニメーション文化の到達度をしめす、
あるひとつの指標となるできごとであった。
(「キャンディーズ引退から30年」との関係はよくわかりません)。
30年もたてばスタッフは当然それだけ高齢になってくる。
失礼をしょうちでドロンジョたちの現在の年齢をしらべると、
たてかべ和也さんは73歳となっている。
こんな高齢の方たちが、まったくその年齢をかんじさせない演技で
わたしたちをたのしませてくれるのは
なんとありがたいことだろう。
(アニメファンからすると
ほんとは小原乃梨子さんというとものすごい大御所で、
ペーターやコナン、それにのび太くん役ででお世話になってる。
というのがただしい距離感だ)。
わたしは小原さんたちがつくりだすお気楽さにここちよく身をゆだねる。
ヤッターマンのテキトーな世界にひたっていると、
ガソリン税だのサムプライムローンだのは、
なんだかほんとにとおい対岸のできごとだ。
それにしても、30年まえすでに成熟しきっていた作品が、
なぜまたおなじ形でわたしたちの前にあらわれたのだろう。
(吉田 淳)