1年後の情景

「たけし、ばあさんが台所で倒れたまま、激痛で動けなくなってるんだ。

 わしは膝が痛くておこせんけん。今、来てくれんか?」


仕事中の僕の携帯に父から緊急の連絡がきた。

すぐに自宅に急行すると、膝を抑えながら悲痛な表情で倒れ込んでいる母親と

呆然とその様子を見守っている父親と対面した。


母親を抱きかかえながら、僕は今後についての自分の役割について考え込んでいた。


「自分は何をするべきか?何を優先させ、次には何をするべきか?」

職場へ戻る車中の中でも、その疑問を何度も何度も投げかけ続けた。


その晩は、歩行困難な母親の介護が必要と判断し、実家で泊まった。

「たけちゃん、病院には行きたくない・・・」

何度もそうつぶやく母親の姿を目にする僕の心境は不安で覆い尽くされてしまい、正常な判断が見えなくなっていた。

「休職して僕が母ちゃんの介護をしようかな」

と負のスパイラルに陥りそうになったまさにその瞬間である。


「いたたたたったたた」

と母親が顔を歪め、激痛を訴え始めた。

尋常ではない、苦しみ方である。


僕は市内にある総合病院の緊急外来に長期戦を覚悟で電話をかけた。

正直、驚いた。緊急を察したのか

「わかりました。時間がかかるかもしれませんが、気をつけて来て下さい。」とすぐに動いてくれたのだ。

相手への気遣いも忘れずに・・・。


数日後、無事に手術を終えた母親は、僕に向かって

「入院して本当に良かった。ありがとう。」

と感謝の言葉を口にした。


相手の要望を受け入れる事が全てではない。

時には、正しい方向へと導く事が問われる時が訪れる。


その時のポイントとは何か?

僕はこう思います。


それは数年後の自分たちの姿。

幸せな姿や情景が目に自然と浮かぶかであるか。


みなさんにもいつか訪れるであろう困難や課題には

“将来”にゴールを設定してみて下さい。

きっと探し求めてきた“答え”に出逢えると思いますよ。

              渡部でした 

              次は野津さん です。