「遺体」を読んで

2011年3月11日(金)14:46分

東北全土を襲うマグニチュード9の大地震が発生。

その影響で発生した30m超の大津波により2万人近くの尊い人命が奪われました。

早いものであれから一年と半年が過ぎようとしています。


正直、自分の中には発生当時に比べると

被災者の人たちに馳せる想いというものが薄れていき

地震について振り返るような行為が時間の経過とともに減ってきています。

(最初だけ?自己満足?その程度の想いなら最初から何もしないほうが良かったかもしれない。)

と自分に対して腹を立てていた時に、タイミングよくある本と出会いました。


「遺体」


一瞬、ドキリとする重たい表題です。

しかし、その表題にピンときた僕はすぐにその本を手にしました。


作者は石井光太氏です。海外ルポをはじめとして貧困、医療、戦争をテーマに多くの作品を執筆しています。

帰ってから一気にその本を読みきりました。


内容は、東日本大震災によって失われ

その後、搬送、安置された被災者と向き合い

埋葬されるまで尽力された人物にスポットをあてたドキュメンタリーです。

16名の人物が時間の経過とともに変化していく心身の疲れや葛藤の中で

何を心の支えとして、遺体と向き合い、その苦難を乗り越えたのか。

安置所となった体育館に次々と搬送される遺体を通して見えてくる東日本大震災の真実。

その時の状況をより克明に伝えてくれる作品です。


一文を紹介します。


“「ここからすぐ近くで、幼い子どもが死んでいます。

 かわいそうなので、どうにかしていただけないでしょうか。」

仙寿院の石段を下りて瓦礫を跨ぎながら進んでいくと

道路の脇に人間らしきものが横たわっているのが見えた。

二歳ぐらいの女の子だった。

濡れた服が肌に張り付き、体中に大量の砂が付着している。

海水を飲んだのだろう。幼い顔が苦悶するように歪んでいた。

「こんな幼い子だったのか・・・・。」

小さな顔や手からは血の気が完全に失われていた。

わずか2歳の女の子が一晩中ひとりぼっちで瓦礫にうずもれていたことが哀れでならなかった。

寂しかったろうに。

         ー略ー

なぜこんな幼い子が人生の喜びを知る事のないまま

泥を被って苦しみながら死ななければならないのか。

坂本は涙をぬぐいもせず担架を持って歩き続けた。”

     ※「遺体」~震災、津波の果てに~(著:石井光太 新潮社)


もし、自分がその場に居合わせたなら?

もし、自分の子どもがその子だったとしたら?

胸が張り裂けそうな想いになりました。

僕は今何をやっているんだろう。

何でこんなちっぽけな事で悩んでいるのだろう。

何でいつもイライラと怒っているのだろう。

何度も何度も思いました。


私たちが被災者になっていてもおかしくないはずです。

たまたま逃れただけなのかもしれません。


    「共感する」


一番、現代において必要な事なのかもしれません。


もっともっとこの震災に対して

もっともっと今後の日本の将来に対して

真摯に考えていくべきだと思いました。

                              渡部