ひいた相手をせめるには

わたしのすきなサッカージャーナリスト、

西部謙司さんの文章に魅力があるのは、

情報の整理と分析が的確だからだ。

ある状況のとき、なにが問題で

どんなつよみがあり、

どれだけそれが効力をもつかを

きれいにときあかす。

たとえば、イタリアのトッティについてはこうだ。


「パスもキープもドリブルも上手いが、

飛び抜けているものは何もない。

全部平均以上できるが、どれも特別ではない。

イタリアのように、反転速攻で3人ぐらいのアタッカーが

フィニッシュに持っていくチームのなかでは、

トッティのような選手は使い勝手がいい。

カウンターアタックが主体だから、スペースはある。

スペースはあるが、時間はない。

速く効率よく、

フィニッシュへ持ち込むのが上策なのだから、

パスもドリブルもシュートも出来なくては困る。

ただしスペースはあるから、

そんなに特殊能力でなくてもいい」


みごとな分析である。

しかし、ときには西部さんならではの大胆な発想もみられる。

ひいた相手をどうせめるかについてかたったときがすごかった。

ご存知のようにサッカーではガチガチにひいてまもられると、

いかに強力なストライカーをようするチームでも

そのまもりをくずすのはそう簡単ではない。

なんとかこじあけようと無理をすると、

逆にカウンターをくらって相手のおもうツボだ。

ただし、ガチガチにまもっていると

点をとることはできないので、

まけないが、かてない。

よくてひきわけということになる(98年W杯の日本みたいに)。


そんな相手をせめるときに有効な手だては、というときに、

西部さんは「一番効果があるのが先制点だ」とのたまった。

1点をとることができなくて苦労してるのに「先制点」なんて、

なにをかんがえているのかと、

フツーならひんしゅくをかうところだ。

でも、よくかんがえてみると、

ほんとにそれしか有効な手がないような気がする。

1点をとれば相手はせめざるをえず、

前にでてくるのでスペースがうまれやすい。

1点をとれなくてこまっているときに

ぬけぬけと「1点をとる」という発想こそわれわれには必要なのだ。

整理・分析はすべからくこのように大胆でありたい。


さまざまな情報をあつめるだけではだめだ。

それをどう整理・分析するかで戦略がきまってくる。

西部さん流の発想でこれからのうごきをねっていきたい。

(吉田 淳)