島根って、・・・すごい

自転車のブレーキがこわれたので、

かったお店にもっていく。

でも、交換する部品をとりよせないといけないそうだ。

自転車をお店にあずけ、

あるいて家にもどることになる。


松徳学園のちかくをとおりかかると、

羊が草をはんでいた。

ん? 羊?

ロッコではあたりまえでも、

ここ松江ではありえない風景だ。

そんなにひろくない空き地で

3頭の羊がのんびり草をはむ。

まわりにひとはいない。

みはられている様子はない。

首にひもがついているわけでも、

空き地にかこいがしてあるわけでもない。

すごくあたりまえそうに散歩しているので、

これぐらいのことにおどろくわたしがまちがっているみたいな気がしてきた。

でも、めずらしいことであるのはまちがいないようで

とおりかかったタクシーがスピードをゆるめて

松江の市街地(といってもはずれだけど)にあらわれ

日常的なことのように散歩する羊に

「ん?」というかんじの視線をむける。


学校でかわれているのだろうか。

近所の名物(迷惑)おじさんの羊だろうか。

この近所では、これがごく普通の風景なんだろうか。

疑問がいくつもわいてくる。

頭をすっきりさせるために、

松徳学園の中学校に電話をしてみた。

苦情だとおもわれないよう

あかるく、おだやかにたずねる。


「さっき学校のちかくで羊を3頭みかけたけど、

あれは(失礼)学校でかわれているのですか?」


学校でかっているのだそうだ。

すぐ解決されるとはおもってなかったのに、

いっぺんでわかってしまい肩すかしをくう。

謎が謎をよぶ事態をすこし期待していた。

電話にでた女性は、

とくにたいしたことないように、

中学校でかっていること、

いつもは校内を散歩していて、

たまにはこうやって外にもでること、

イベントとして毛をかったりすること、

などをはなしてくれた。

「羊がのんびり散歩してるなんて

すごくいい風景ですね」

とつたえると、

うれしそうに「ありがとうございます」といわれた。


わたしは羊の生態についてとくにあかるいわけではないが、

あの3頭の羊は絶対にしあわせそうだった。

ビクビクすることなく、

ごく自然に散歩している。

ここを自分たちがうろつくのは

あたりまえのことなのだ、という態度だ。

空き地のいりぐちに

「ペットおことわり」の札がたててあったのがおかしかった。

あの札をたてたひとは、

まさか羊の侵入をふせぎたかったわけではないだろう。

羊がはいりたくなるぐらい魅力的な空き地ではあるわけで、

その意味において札をたてたことはただしい。

でも、羊たちの前ではすごく間がぬけた存在だった。


3頭の羊たち。

松徳もなかなかやる、というのがわたしの感想だ。

自由に、たのしそうに散歩する羊たちは、

学校ののびやかさをあらわしてはいないだろうか。

世の中そう単純でないことはわかっていても、

でも、そうであってほしいとねがう。

ガチガチに管理するのではなく、

みまもりなどつけないテキトーさをわたしはたかく評価する。

学校の羊が「ペットおことわり」の空き地にいることもすごくたのしい。


想像をひろげる。

東京からの観光客がこの羊たちの散歩をみたら、

きっとかなり混乱するのではないだろうか。

「島根って、すげーぞ!

羊が悠々と散歩してるんだぞ」と

東京にかえってから

友だちにおどろきをつたえるのではないか。

県民性のちがいについてのなんとかという番組に、

この松徳の羊たちが登場しないだろうか。


「島根ではごくフツーに羊がはなしがいされています。

ほんとうです」


 さすが古代出雲文化発祥の地だ、なんて、

わけのわからないまま

もっともらしく納得する視聴者を想像するとたのしい。


1時間後にもういちど松徳のまえをとおりかかると

羊たちはもういなかった。

散歩の時間はぶじおわったようだ。

ひさしぶりにいい夢をみさせてもらった。

(吉田 淳)f:id:npokodama:20100407114751j:image