『笹塚日記』的生活のしあわせ

目黒考二氏の『笹塚日記』をつづけて3冊よむ。

本をよむことが仕事というひとなので、

目黒氏の日常生活が

業務日誌みたいな淡々と、

でもすごくこまかくかいてある。

どこの本屋さんでなんの本をかって、

それを何時から何時までよんで、ということや、

食事として近所のコンビニやスーパーでなにをかって、

どういうふうにたべたか。

どんなひととあって、なにをうちあわせしたか、など。

あんまりおなじような記述がつづくので、

しおりをはさみわすれたとき、

どこまでよんだのかさがすのに苦労したほどだ。


本の雑誌』に連載されていたころから

笹塚日記』はしっていたけど、

全部に目をとおしたことはない。

むしろ、なにがおもしろくてひとはこんな文章をよむんだろう、

ぐらいにおもっていた。

しかし、ずっとよんでいると、

だんだんはまってしまい

やめられなくなってくる。

そして、生活とは結局こういうことなんだろう、

と関係ないことが頭にうかんできた。

なにをたべ、なにをよんだか。

はなばなしいことはおこらないけど、

毎日はちゃくちゃくとすぎていく。

家族のことや私生活についてはまったくかかれていない。

ただ仕事がらみの「業務日誌」でしかないのに、

どうしようもなくそのひとの生活がうきぼりになる。

おきていられないぐらい

ねむくなるまで本をよみつづけ、

12時間ぐらい爆睡し、

フラフラおきだしてたべたいものをつくってたべる。

わたしがしたいのは、

あんがいこういう生活ではなかったか。


目黒氏の生活に輪をかけて

わたしの日常は平凡でかわりばえがしない。

でも、なんだかんだいいながら

こうやって生きているのが

しあわせということなのだろう、

と妙にさとってしまった。


あなたのねがいを3つかなえます、

と魔法つかいがわたしのまえにあらわれたなら

どうこたえるだろう。

あんがいいまの生活をずっと、

なんてこたえるかもしれない。

(吉田 淳)