共生の社会を取り戻すために

近年、読書をするようになって気がついたことがある。それは、活字の力とその恐ろしさについてである。作品によってではあるが、完全にその著者の思想に心酔し自分の人生に大きな影響を及ぼすことがある。自分だけならまだしも、それが家族や友人にまで影響を及ぼすことになるとかなり厄介な場合があるのだ。著者が知識人で人格者であり、歴史的、客観的な裏付けのもと、確信をもって事実を伝えていればいいのだが、すべての作品がそうあるとは限らない。もし、何の裏付けもないまま自分の思想のみを正義と考えている作者の作品に共感してしまい、その後の人生に多大な悪影響を与えることだってありうる。

そこで、僕は考えた。あるテーマに対して対極にある本を必ず数冊づつ読むことにしようと。そうすることで極端なまたは一方的な考えに陥ることはなく、対極な作品を対比させることでより正確な真実をつかめるのではないかと。


僕の共感する作品の条件はというと

①自国はもちろん他国の歴史、文化についての知識が豊富であり、客観的に分析、紹介できる人

②自分の思想と対極にある人、及び作品を紹介。ただやみくもに批判するのではなく、その人の思想を客観的に分析し、具体的に問題を指摘する人。また、認めるべきところは認める人。

③文章から使命感や気概が伝わる人。

この3点だ。


例えば教育論争について話そう。ゆとり教育推進派と反対派の作品がある。推進派は本田和子氏(お茶の水大学局長)、尾木直樹(臨床教育研究所「虹」所長)であり、反対派は西村和雄(京都大学教授)、和田秀樹(精神医学者)、苅谷剛彦(教育社会学者)の作品を読んだ。また、ゆとり教育に視点をしぼったのではなく、もっと大きな視点で現在の教育制度について批評した藤原正彦氏(数学者)、佐藤貴彦氏(評論家)、櫻井よし子氏(ジャーナリスト)の作品も読んでみた。


この8氏の作品を読んで比較すると、どうもゆとり教育推進派のみなさんの考えは首をかしげてしまうことが多いのだ。この人たちの言い分は、「子どもにもっと自由と権利を与えなさい。「秩序」の型にはめ込もうとすると、子ども本来の大切な力が失われる。」という考えなのだ。その意見について無知識の僕がどうのこう意見する立場にはないのだが、先ほどの①と②は該当しなかったように思うし、③についての使命感についてだが、その意志は酌み取れる部分もあったのだが、後者の6人、いや3人(藤原氏、佐藤氏、櫻井氏)に比べると弱い気がしたのだ。もっとわかりやすく言えば、自分の意見を何が何でも押しとうそうとする抑圧的な姿勢を感じ取ったのだ。

自分としては藤原氏、佐藤氏、櫻井氏の考えに一番共感できたので、ここで紹介したい。といっても全部というわけにはいかないので、3人が共通している意見の中から興味深い例を紹介しよう。


それは江戸時代末、明治時代が日本の教育で最高に理想に近い状況だったという話であり、その当時の貿易、宣教活動、外交で滞在していた欧米人が一同にかいしてその事実を文献等に書き残しているという。「体罰というものはほとんど存在せず、親は自由にのびのびと遊ばせている。にもかかわらず、子どもは礼儀正しく礼節を重んじている。」と何人もの欧米人が驚愕の声をあげているのだ。美徳と品性、道徳の充実、皆が幸福で安全な国家はどのようにして築かれたのかと問いかける作者達。


答えは全国のどの藩でも行われていた子どもたちへの道徳教育だと結論づける。また、日本人古来から養っていた伝統と論理的雰囲気が基となったのだとも言う。

それでは江戸時代の教科書とはどんなものだったのか。代表的なものが「日新館」の童子訓であり、冒頭で3つの恩「親の恩、先生の恩、社会の恩」を記している。年長者への敬い、嘘も卑怯な振る舞いは許さないこと、弱い者をいじめてはならないこと等、日常生活の中での心得も教えられている。そして結びには「ならぬものはならない。」としてある。つまり、いけないことはいけないんだ。そこに理由なんてないんだ。と強く訴えかけているのである。


ただし、この日本独自のすばらしい教育が現在では崩壊していると3氏はいう。原因は明治中期から導入された欧米の教育システムと、崩壊の路を決定づけたものが敗戦後の米国による戦後民主主義教育の導入だったのだ。その効果が徐々に効いてきて今の教育崩壊の状況になったのではないか。

ではどうするべきか?それはまず日本古来の精神に立ち返るまでの期間は、訓練教育により軟弱で自己中心的な精神を鍛え上げ、また平行して江戸時代の教え(武士道)を導入すべきではないかと思う。


今の子供に善悪の説明はいらない。「ならぬものはならぬ。」を合い言葉に、大人の言うことは聞きなさい精神で教育すべきだと思う。しばらくは愛の鉄拳もやぶさかではない。そして、日本古来の精神に戻った時、鉄拳は必要なくなるだろう。そんな日はくるのだろうか?一日でも早く来てほしい。戦後民主主義教育によって日本は末期症状になっている。やはり今の子供たちには荒療治が必要と僕は考える。自分の子どもだけではなく、全ての子どもたちに。そして病魔から一日でも早く立ち直らせてあげたい。江戸時代にほとんど体罰が存在せず、にもかかわらず子供たちは善悪をきちんと理解し道理をわきまえた真の人間であったという歴史的事実は、これからの希望につながっていくのではないか?


日本人が共に生きる共生の精神を取り戻し、自分の家族はもちろん、他者への幸せを純真に願う人々であふれかえるような世の中になれば良いと願うのである。

                                       渡 部