3つのノート

五木寛之著 「人間の関係」という新作本を立ち読みした。

心に響くものがあったのでここで紹介したい。


五木さんは過去3度ほど長い鬱期間があったらしい。それも決まって十年周期だという。

霧の中をさまよっているような何ともいえない状態から抜け出したいともがいている時に

不思議とひらめいた事があったらしい。それは「喜びノート」をつけること。

「喜びノート」とは、その日あったうれしい出来事を一つだけ記すというノートのことで

語尾に必ず「うれしかった。」とつけるそうだ。例えば、「探していた本が見つかった。」

「ネクタイが上手に締めれた。」等、考えればきりがないほどうれしい事が頭に浮かんできたらしい。

全く思い浮かばないときには「今日は一日何事もなく無事に過ごせましたのでうれしい。」と書く。

すると不思議なことに、しばらくすると霧が消え視界が広がるような感覚がよみがえり鬱状態から脱

したそうだ。


今度は十年後の60歳の時。五木さんはここでも「喜びノート」をつけはじめた。しかし、である。

全く効果が出ない。多分、今の自分の真の心に「喜ぶ」ことがふれられないんだと悟った五木さんは

逆転の発想で「悲しみノート」をつけることにした。するとどうだろうか?今度は前回と同様な効果

があり、この時も鬱状態から脱することができたそうだ。人間は生きていくうえで「喜び」と「悲しみ」

の両輪の感情が必要であると悟ったそうだ。


次は70歳の時。五木さん、最初から「「喜びノート」と「悲しみノート」は今は違うなあ。」と感じ

ていたそうで次のひらめきを待っていたそうだ。ある日、足に怪我をした時だった。普通に歩くことが

いかに「ありがたい。」事なのかに気づく。それを切掛にどんな些細な自分の基本動作に対しても感動

し、自然と「ありがとう。」の感謝の気持ちが沸いてきたそうだ。次は「ありがとうノート」に決めた

五木さん。効果は驚くほど早く、1ヶ月も経たぬうちに鬱状態から抜け出せたそうだ。


五木さんは言う。人生にはその時期に応じて必要な感情(ノート)がある。少年期~成人期には「喜び」。

中年期は「悲しみ」。そして老年期には「ありがとう」の感情である。みなさん、「全ての時期に3つの

感情は必要だろう。」と不思議に思うだろうが、五木さんのいうノートとは、その感情を再確認にし本当

の意味を知ることができる時期(年齢)という意味である。だから同時に3つのノートをつけてもあまり

意味がないらしい。


ぜひ、みなさんには五木寛之さんの作品を読んでほしい。きっと生きるヒントが得られると思う。

他力の存在とその必要性。また、何のために自分は生まれたのか?自分の使命感とは何か?がおぼろげに

わかってくるはずである。

五木さんの場合、ある問題に対しては必ず2種類の解答を用意されている。その二つの解答は、対極にあり

右と左、白と黒、表と裏、天と地といったように正反対の内容である。しかし、どちらの解答も否定はせず、

どちらも必要なものとしてとらえ、最終的には自分で選択すればよいと読者を導いてくれる。

例えばこうだ。人生の道行く半ば、つかれきって座り込んだ人がいる。その人を救う手段は?

五木さんはこう答えている。励ましといたわりであると・・。この言葉を仏教用語におきかえると「慈悲」

という意味となる。慈(励まし)は「手を差し伸べ、共に頂上を目指そうと再び歩きはじめる」手段であり、

悲(いたわり)は「共感、共苦し、その人の想いを胸にひめながら一人頂上をめざす」手段であると。

五木さんは言う。今までの世間は慈をよしとし、悲を×としてきた。それは違うのではないかと。どちらも

必要な行為であり、相手の真の想いを感じて手段を選べと。そしてその相手が救われたと感じればそれで良い

のではないかと答えている。


実は僕もすでに登山中に2度ほど座り込んだ経験がある。1度目は誰も手を差し伸べてくれなかったし、共感し

てくれる人もいなかった。しかし、他力によって救われた。2度目は手を差し伸べてくれた人もいたし、共感し

てくれた人もいた。そのおかげで再び歩きだせた。慈悲によって救われたのだ。だから今度はその恩返しを自分

がしてみたい。いやしなければいけない。これが僕の使命であるように最近強く感じる。

全ての人をと言いたいところだが、今の自分の器では無理だと思う。だからまずは同志を救いたい。僕の同志

というのは魂のふれあうことができる人をいう。頂上でも5合目でもかまわない。そこで笑顔を見せてくれればそれ

でいい。再び肩を寄せ合って頂上を目指すのもよし、下山するのもよし。よ~し、気力がわいてきたぞ~。視界良好。

いざ、出発である。


                                              渡部でした。

                                

追伸:クリスマスコンサートはみなさんのおかげで大成功のうちに終了することができました。

   本当にありがとうございました。