人生は登山

最近、一人が楽でよい。数少ない親友にも昔のように「度々会いたい!」と思わなくなった。

なぜそう思うようになったのだろう?たぶん、会わなくても信頼が揺らがないことを確信しているからだろう。

だからその親友との間では「さよなら」の不安がない。だったら会うことで不安を解消する必要がないわけだ。

僕の言っている意味、わかるかな?

年に1度会えたらそれで十分。話の内容も昔のくだらない想い出話であり、そのうえ、いつも同じ内容で盛り上がっている。

でもそれで十分。満足なんだ。

人間は孤独が怖いというが、本当にそうなのかな?もともと、人間は生まれた時には裸であり全く0の状態からの出発である。

それも大泣きしながら・・・。

人生のスタートであり、頂上にむかうための叫びなのだ。多くの出会いを求めて必死で頂上を人間はめざしているのではないか?

そして頂上を登りきった時、ふと我にかえる。また生まれた時のように0の状態に戻りたい。よ~し、今度は余裕をもって、ゆっ

くり、のんびりと山を降りよう。そして土に返ろうと思うのではないかな。

だから自分は今頂上に登ったところなんだと気づいた。人生は頂上が最高ではない。僕はそう思う。生まれてから頂上までの道のりは

ガムシャラで周りが見えなかったが、今度は風景を楽しみまがら余裕を持って下山できる。多くの出会い(縁)は大きな財産だが、頂

上から下りはじめた時から、一人づつお別れをして生まれた時と同じ0の状態に近づきたい。

ただ、僕の場合、ここからが長いのだろうなあ。下山方向の斜面がなだらかで、なかなか0になれないような気がする。

ギネス更新するぐらいの長生きのため、まわりの人たちがこの世からいなくなったらどうしよう。それも0の状態といえるのかな?

そうなったらお笑いだよね。

                                              渡部