電子書籍

iPod touchのアプリ『糸井重里のはだかの禁煙日記。』を購入して読んだ。私にとって、電子書籍は初めての体験。想像以上にその利便性におどろいた。1ページが250字程度。指でぺらぺらと読みすすめることがなにより良い。とにかく読むスピードが早く感じる。気になった部分はしおりをはさむことができるので、気に入った文章をとどめておくこともできた。


本の内容は、1日80本も吸うほどのヘビースモーカーだった糸井さんが、禁煙をはじめた(3回目)2日後から綴ったもので、糸井さんらしい発想(ここではいえないようなマル秘理論)で乗り切った、約2ヶ月の赤裸々な日記だった。

「吸いたい衝動」をどんな風に考えたか、すわなくなった自分を客観的にみつめ、吸わないことへのイライラや虚脱感、眠気、仕事にならない体についてなど、ナーバスな心境についてがただただ書かれている。そんな日記だった。


しかし、本の後半になってくると、徐々に文章が短くなったり、書くのを忘れていたり、日がとびとびになっていきながら、日記は突如終わる。まるでニコチンの中毒による肉体的、精神的な苦しさ、そして誘惑が薄れていったように。

日記がおわると、禁煙が続いた7年後のあとがきと、日記をみつめてきたスタッフとのふりかえりも収録されている。


その振り返りの中でいっていた「たばこを吸うことをかんたんに悪としてとらえない」という内容が印象に残った。

昨年の値上がりや禁煙に対する考え方は、ここ数年で世間に一気に広まってきた。

タバコを吸うことがまるで犯罪であるかのようにあつかわれはじめてから、世の中がぎくしゃくしはじめたと糸井さんはいっている。


タバコは、吸っている人ならわかるが、食後の一服がたまらないとか、一仕事終えた時にとか、イライラを抑えるためとか、こんな風に考えている人は多い。

こうした解消を担っていたであろうタバコがなくなればどうなるだろう。

人はいつもいらいらして、人にあたり、自分にあたり、せちがらい世の中にそうなるのは明白だと。

そういったことを抑える役割も実ははたしていたのではないか?

でも、むずかしいのは、それを声高々にいうこともおかしなことだからだ。

タバコは百害あって一理なしといわれる、依存性も高いし、健康に確実に悪い。

だから、いつまでも人間が吸っていくのはいけないことだ。

でも安易にそれを「悪」としてみてしまう世の中に、糸井さんはいやな気持ちを感じていた。

クリーンな世の中を目指そうとすればするほど、社会の中に軋轢を生み、区別することが当たり前のようになってしてしまう。

人間の理不尽さ等が解消できた、タバコは今や世間から文字通り煙たがれる。


糸井さんのいうように、私も世の中の認識が変われば、その時は良しとされてきたことも、古くなっていけないことに変わることがあることを、変化は常にあることを35年もいきてるとだんだんとわかってきた。もちろんその逆もあって新しい考え方に目を覚まされることもある。




学生の頃、祖父母の家で農作業を手伝いにいくと、

途中で必ず「ちょっこし、たばこすーか?」といっていたのを思い出した。

本当にじいちゃんばあちゃんがたばこの煙をくゆらせるわけではない。

とうてい子供がたべないようなお茶菓子とアルミのやかんにはいったお茶をならべて、畑の隅っこで休憩するだけのこと。

でもなんでそういっていたのだろう。たぶんじいちゃんあたりは昔すっていたかもしれない。その名残か?いやそれだけではないように思う。

たばこってもっと、特別でいて、身近なものだったんだ。そんなのんびりした雰囲気までもが、なくなってしまう世の中にはなってほしくない。そういうことを糸井さんも言いたかったのだと解釈した。


いちばんこわいのはやっぱり、物事の評価を人のいったままま、調べたり、味見したりもしないで受け止めてしまうこと、かもしれない。社会の考え方、自分の考え方どちらも固定化するのが怖いことなのかもしれない。



この本を読もうと思ったのは、もちろん「私も、そろそろ禁煙しないとな」くらいに思って読んだけど、禁煙することそのものよりも大切なことを教えてもらった気がする。

糸井さんがやめることができたのは、社会のあり方を考えたことと、社会の中での自分の役割を明確にしたこと、それを日記に綴ったことだと思う。

私も肩肘張らずに「よしいけそうだ!」くらいのタイミングで進めたいと思う。そして禁煙をはじめるときは、日記をつけてみようと思う。川上