サバフライが教えてくれた大切なこと

以前、コーヒーを入れる時に「Aさんって砂糖いれるんでしたっけ?」

と目の前にいるAさんを通り越し、遠くにいる職員に確認をしたことがある。

そのとき、後からハッと気づき、

なぜ、自分はAさんに直接聞こうともしなかったのか

ものすごく、自分の関わりについて恥じたことがある。


たとえ、からだのことを気づかって砂糖を控えめにしようとか、

入れすぎないようにと家族からも伝えられていたとしても

あまりにも「決めすぎる」ことで支援やかかわりがまずくなる部分がある


だって自分たちだって、ブラックで飲みたい時だって

ミルクを多めにして、砂糖もいれて、甘くしたものが飲みたい時だってあるのに、

そんな「今日の気分」さえも無視し、あるいは本人になにも確認をとらないで「こう飲むのがあたりまえ」となっていくことにまずさを感じる。


こういったことは、それぞれの利用者支援のマニュアルとかさなる部分が多く、

つい慣れてくると、あたかも「あたりまえ」「いつもとおなじ」「これでいいだろう」と、

それ自体が良いこととなり、確認をおこたってしまうことがある


そんなにむずかしく考える必要はないのだが、

やっぱりその都度利用者本人と確認をとることが正しいのだと思う。


今日の昼食時にも同じようなことが繰り広げられていたので気になった。

職員が利用者のお弁当をメニューを見て

たべる前に大きいフライものをカットしたり

たべる前にソースをかけている


ここに落とし穴があるのかもしれない。

「この人はいつもこれくらいの大きさにカットして食べやすくする」

「ソースが好きだから、かけたほうがいいだろう」

といったかかわるうえでの「あたりまえ」に

まったく利用者との確認ができていないことが心配になった。


もしこれが、利用者と一緒に確認しながら、

「今日はこんなメニューがはいっているよ、おいしそうだね」

「ちょっと大きいから、少し切って食べやすくしよう」

「これくらいの大きさで大丈夫かな」

「ソースをかける?それともこのまま?」

「マヨネーズの方がいいんんだ!そうしよう」

こんな会話ができていたらどうだろう。

もっと食事って楽しいもので

一緒に「おいしいね」っていえるはずだ。


今日のメニューのさばのフライには、

実はカレー粉がまぶしてあった。

「あ、今日はカレー味だね!」

それがわかっていれば、きっとソースをかけなくても、たべる人はいたのかもしれない。


さばのフライはとっても大きかった。

「うわー!今日のフライ大きいね!うまそう!」

そうやって、どんなにおいしかろうか

いっしょに喜んでから、カットしたほうがよかったのでは・・・。


もっとみんなの声を聞き、一緒に楽しみながら

その中で、彼らがいったい本当はどうしたいのかということを

いつも探って、知り得ていくことが

求められる姿勢なのだと思います。

川上