カスケから学んだこと

松江の実家から3日ぶりに大東の自宅へ戻ってきた8月13日のこと、先に家へ入っていった息子が静かに歩み寄り「カスケ(飼い猫)が死んだ。」と報告に来ました。

あまりにも突然のことであり、しばらくの間、呆然としていた僕でしたが、それ以上にショックを受けたのが巴菜と哲平でした。その場で泣き崩れ、しばらくの間、段ボールの中で眠っているカスケから離れようとはしませんでした。


意外だったのが哲平の悲みよう。普段はそんなにカンジやカスケに対して興味を示さず、あまり遊んでいる場面を見たことがなかったからです。巴菜が落ち着いた後でも、一人大の字になって「カスケ~カスケ~。」と泣いていました。発作のような症状がでてきたので抱き寄せて「だいじょうぶだよ。お父ちゃんも、お母ちゃんも、お姉ちゃんも、みんな側にいるからな。落ち着いて呼吸をしてごらん。」と耳元でささやくと、しだいに落ち着き、「カスケはさびしくないの?だいじょうぶ。」と聞いてきました。

「カスケはだいじょうぶ。今、お盆だから、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんが、カスケが天国に迷わないようにちゃんと迎えに来てくれたのだよ。ただし、カスケが安心して天国へ行くためには、家族のみんなが悲しんでいるだけではなくて、同時に、「カスケありがとう。」の気持ちで、元気よく天国へ送り出してあげることも必要なのだよ。」と答えました。すると、静かに涙を拭きながらうなずいていました。


家族全員が対面するのを待ってから、義父と一緒にカスケの墓を作りに茶畑へ。出発の準備をしているその時に、哲平がかけより「僕も行く。一緒に行かせて。」と懇願してきました。義父が「雨も降っているし、危ないところだから待っていなさい。」と強く諭しても

「行かせて。」と納得しません。その根気強さに負けて、結局、一緒に行くことになりました。墓を掘っている様子を眺めながら、「カスケありがとう。ゆっくり休んでね。」と手を合わせる息子を見て、何だか愛おしくなりました。


その後は落ち着き、安心して寝ようと思ったのですが、再びカスケに対する想いが込み上げてきたようで、「カスケがいいよ~。カスケがいいよ~。」と泣き始めた哲平。しばらく静観して背中をさすっていたのですが、あまりにも苦しそうだったので、「今日は朝まで起きておこう。」と僕の部屋に誘ってみました。ジュースを一口飲むとスイッチが切り替わったようで、しだいに落ち着いてきました。

「今後も大切な人との別れは何度でも訪れる。お父ちゃんもその一人だし、カンジ(カスケの父親)もいつかは亡くなる。それはいつ訪れるか分からない。明日かもしれないし、もしかしたら今日かもしれない。

その時は自分の気持ちに正直になってめいいっぱい悲しめばいい。泣くだけ泣けばいい。ありのままの自分の気持ちを受け止めることは大切なこと。

ただし、永遠に泣き続けてしまえば自分の心が悲しみで一杯になって何もする気がおきなくなってしまう。心が死んでしまう。

だから、同時に、その悲しみを乗り越えようとする強い意志も持たなければならない。人の死から学ぶべきこと。自分は明日に向かって生き続けなければならないという事実に対して真正面からぶつかってほしい。そして一歩一歩強くなってほしい。」

そう僕は答えました。ちょっと難しすぎたかも知れませんが、話さずにはおれませんでした。

哲平にその考えが理解できたかどうかは僕にもわかりません。ただし、彼は真剣な眼差しでうなずいてくれた。何かを感じてくれたことは確かです。


義母の話では、カスケは、亡くなる前にすべての部屋をまわったそうです。死を予感し、最後に自分が生まれ育った家にあいさつにいったのでしょうか?胸がジーンとしました。


毎日、カスケの写真に向かって子どもたちは手を合わせています。

毎日することで、渡部家の誰一人ともカスケのことを忘れることはありません。

カスケありがとう。ゆっくりと休んでください。            

                                                                渡 部